仏のことば その27

こんにちは、熊谷墓園 石材部の佐藤です。
週末の台風が定着しそうな感じですが如何お過ごしでしょうか?
寒暖の差が激しいので体が疲れてしまい、ついだらけてしまいます。
そういう時に限って人が見ていて『だらしない』と言われてしまう。
普段は頑張っているのに、そういう時だけなぜが見られてしまう。
そんな経験ありますよね?
さて、この『だらしない』も仏教からきた言葉なのです。
「だらし」とは、しまり、しだらの事をいいます。
それがないのだから、しまりがないありさまを指す言葉になります。
さてこの場合の「しだら」とは何でしょう?
梵語で秩序を意味するスートラからきたものとか、「自堕落」が転じたという説がありますが、いずれにしても、しまり、始末、ていたらくという意味である事には変わりありません。
だらしとしだらを並べると、少々ややこしくなりますが、どうやらこの2つが一緒になって生まれてきたのが、このだらしないという語句のようなのです。
仏教では、法爉(ほうろう)と呼ばれる、受戒してからの年数で序列を決めるという約束があり、この序列の事を「﨟次(らつし」と呼ばれます。
この序列が乱れるとどうなるのか。
「﨟次がなくなる」のです。
それに接頭語の「だ」がついて、現代の様な言葉になったとか・・・。
しかし、同じ意味の「しだらない」という表現もあり、このだらしとしだらは切っても切れない関係と言えそうです。

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