有名人のお墓紹介⑤

こんにちは、熊谷墓園石材部の石原です。突然ですが皆さんは日本一の剣豪といえばどなたを思い浮かべるでしょうか?宮本武蔵?それとも柳生石舟斎でしょうか?

多少剣客小説などお好きな方でしたら聞いたことがあるかもしれませんが、私はと言いますと・・・「剣聖」上泉信綱です!!

そのお墓はなんと私の地元群馬県の前橋市、西林寺にあるということでぜひ今回はこちらをご紹介させていただきます。

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こちらが前橋市上泉町にある西林寺です。近くにベイシア前橋モールもございます(笑)

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本堂の左脇には「上泉伊勢守生誕の里」の文字がnobustuna7 nobustuna8

その奥に行くと、ありました!上泉信綱のお墓です。残念ながら石塔の文字は風化してほとんど読むことはできません・・・

剣聖でもあり、兵法家でもあった信綱。日本剣術の中心的流派・新影流の始祖で竹刀を考案したのもこの方です。弟子には柳生石舟斎(=柳生宗厳、柳生新陰流開祖)、宝蔵院胤栄(宝蔵院流開祖)などすさまじい名前が並びます。上野国(こうずけのくに)上泉城城主、上泉秀継の子で、当初の名は伊勢守秀綱、のちに武蔵守信綱と称し、上野国箕輪城の城主長野業政の家臣となり、若い頃から槍を得意とし「上野国一本槍」とも言われました。

 信綱は陰流の始祖、愛洲久忠(移香)の子の宗通のもとで陰流を習得し、戦争の段取り=軍配を小笠原氏隆(小笠原流兵法)に、そして香取、鹿島の神道流を学び『新影流(新陰流)』を開きます。その後、新影流を広めるために弟子と共に諸国を巡り、京都では13代足利義輝に軍配を指導し、天皇の御前で披露した剣技が評価され従四位下を贈られました。その没年は天正5年と言われていますが諸説あり、大和の柳生谷で亡くなり墓を建てたとの説もありますがそちらは供養塔だけでお墓は無いとのことです。

 ※最近、某格闘マンガでは宮本武蔵のクローンが現代に蘇るというハチャメチャな展開がありましたが、上泉信綱では・・・ちょっと地味なのでしょうか?残念です(汗)

 

新しいお墓のかたち