「だるま」の由来
こんにちは。熊谷墓園石材部の石原です。今回はみなさんご存知の「達磨」についてお話させていただきます。
こちらの龍泉寺様でも1月13日に「だるま市」が行われますが、この達磨について縁起物以外のことはご存じない方が多いと思います。そもそもこのだるまは室町時代に日本に伝わった仏教禅宗の達磨大師という僧侶がモデルとなっており、この達磨大師には壁に向かって九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説があります。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになったという、けっこう生々しい由来があるのです。
また、だるまとは別に各地の郷土玩具として「起き上がり小法師(こぼし)」という丸く手足のない置物がありますが、こちらの何度倒しても起き上がってくる姿が次第にだるまと混同され、縁起物としての意味合いが強くなってきました。
最近は色々カラフルなだるまも見かけますが、だるまといったら赤色ですね。火や血の色である赤は古来から魔除けの効果があると信じられていたことから神社の鳥居などと同じく赤く塗られ始めたとのことです。江戸時代以降に日本で描かれた達磨大師の絵なども赤い衣で描かれていて、縁起物として、紅白となるよう白いだるまを作ることも行われてきたようです。
だるまといえば私の地元群馬県では高崎だるまが有名ですが、埼玉県でも「越谷だるま」という江戸時代の享保年間より続く伝統あるだるまが有名ですね。こちらは群馬のだるまと比べて色白で鼻が高く、頬がふくふくしているのが特徴で調べたところによると埼玉県でわずか9店舗で年間約40万個のだるまが手作りで作られ、川崎大師や柴又帝釈天をはじめ広く出荷されているとのことです。
そして、だるまといえば願かけとして墨で目を入れますが、元は目が入っていたのが、お客から目が気に入らないと文句をいわれた職人が、お客の希望を聞いてその場で描いたり、ならいっそ自分で描け!と、白目にしたのが目入れだるまの始まりとも言われています。また目の入れ方は、だるまの左目、向かって右からというのが定説になっています。大安、友引、先勝といった日の良い日にだるまの左目に墨を入れて願掛けをし、満願成就のあかつき、または大晦日に一年を振り返って、感謝の心を込めて、もう一方の目を入れます。そののち、お焚き上げ供養してもらいます。
皆様も願いが叶った方、今年こそ目標を叶えたい方もぜひ熊谷龍泉寺のだるま市にいらっしゃってくださいね。お待ちしております。