身内ではないけれど、他人と言うにはなかなか割り切れない気持ちの納骨
こんにちは、熊谷墓園石材部の齋藤です。先日は自分の死後をセルフプロデュースした、流通ジャーナリスト金子さんの事を話しましたが、実は、去年金子さんのように余命宣告を受け、自分の死後の準備に、お仏壇とお墓を買いに来た、あるお客様がいました。
奇しくも金子さんと同じ「K」のイニシャルのKさんは、ガンが進行し、土気色になったお顔とは正反対に、実に精力的に行動されました。私の上司がKさんの担当をし、商談をすすめ、お仏壇を決め、無事お墓の建立となりましたが、自分の死を真正面に受け止め、前向きに生きるKさんの姿に、普段は無敵の私の上司が、珍しく「凄まじい精神力だ」と、ポツリとこぼしていました。その顔にはハッキリと、「自分には真似できない」と書かれていました。
当然私もKさんとお会いしましたし、お墓の建立を自分の目で確認し、満足気に私の上司に「ありがとう」と言って笑うときも、私はいましたし、まもなくKさんにその時が訪れた時、私がKさんの納骨を担当しました。
お骨を収めるとき、施主や親族の方々に最期のお別れとして、骨壺の蓋をあけ中を確認していただくのが常ですが、その時私は初めて蓋をあけるのをためらいました。蓋の向こう側にKさんの顔が浮かんだからです。最近まで実際に会い、話し、身内ではないけれど、他人と言うにはなかなか割り切れない気持ちに、正直初めてなりました。それがためらいとして、私の手に現れた訳です。
あれからずいぶん経ちましたが、Kさんが眠っているお寺は比較的よく行くお寺ですし、Kさんのお墓はメイン通路に面した立地のいい場所にあるので、行けば必ずと言っていいほど目につきます。そのとき花立にまだあげてまもない生花をみると、改めて死を実感しKさんの早すぎる最期を感じるものです。ですが、それと同時に死を偲ばれているKさんに対し、親族の愛情を感じます。
私が死んだときも、こうやって少しでもいいから死を偲ばれたいものだなぁ、と思いました。と、言うわけで、次の休みには祖父母の墓参りに行こうと思います!何事もまずは実行!人にこうされたいと思ったら、まずは人に自分がされて嬉しいことをしてみよう!と、言いますしね。