仏のことば

こんにちは、熊谷深谷霊園 石材部の佐藤です。
予定のない休日など如何お過ごしでしょうか?
何もする事がなく、なんとなくその辺にあった雑誌を読んでみたり、見ないテレビをつけてみたり・・・
そして一言、
『退屈だ』
現在でこそこの語は、何もすることがなく暇をもてあまし、
出てくるものといえばあくびくらいの飽き飽きした心の状態を指します。
努力や向上心とは、まるで逆のマイナスイメージだけしか浮かび上がってきません。
しかし、もともとは積極的なニュアンスを示す語でもありました。
つまり、仏道を求めるのに疲れ果て、心が後退し、困難に屈する、という状態を表すものだったのです。
いわば挫折といってもいいです。対象のあまりの強大さに圧倒され、へこたれてしまったのです。
人間、いったんへこたれてしまうと、次に到達するのは嫌気の世界です。
何をやっても駄目だとばかり、心がだれてしまします。
そして行き着く先が、何もする事が無い「退屈」の世界です。
しかし、あまりに退屈しているとちょっと出掛けてみようかと行動するものです。
退屈の先には積極的な行動があるとすれば、
現在での意味もあながち間違ってはいないのかもしれませんね。

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